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2011 / 11
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シャネルの本2
「シャネルとストラヴィンスキー」
クリス・グリーンハルジェ、 酒井 紀子訳
竹書房文庫

これは映画のポスターではなく、映画のもとになった本です。
シャネルはモード、クチュリエの世界で革命的なことを成し遂げた人。
バックグラウンドも何もない女性が、たったひとりで世界に挑み、
そして勝利していきました。その過程で、ほんの一時だけ
20世紀最大の作曲家、ストラヴィンスキーとの接点があったようです。
2人の出会いのきっかけが「春の祭典」の初演に居合わせたこと、
かどうかは疑問ですが、本の内容は主に男と女の話となっています。
ココってきっと強い女だったかもと感じさせる筆致はさすがですが、
イゴールってこんなに軟弱な男かなとも思ってしまいます。
ココはそれほど音楽に理解を示したわけではないし、音楽よりは乗馬が
好きだったのではと思います。そして「生涯愛した男は一人だけ」
という発言からしても、熱を上げていたのはイゴールの方で
結局彼は自分の家族さえも失ってしまいました。
ココは美術ではピカソ、映画ではヴィスコンティ、文学ではコクトー、
舞踊ではディアギレフ、音楽では他にサティとか・・・
とにかく1920年代を彩った天才達に囲まれていて、それぞれに
ドラマがあったはず。その1ページと思えば気楽に読める小説でした。

ただ、ココは、こうした本物をもつ芸術家への援助は決して
惜しまなかったようです。「Pygmalion(ピグマリオン)」という言葉は
ギリシャ神話から語源がきていますが、才能を信じ、支援して、
開花させる人という意味があります。そのスピリットが日本でも
「シャネル・ピグマリオン・デイズ」という若い音楽家支援という形で
遺されていることに感嘆せずにはいられません。



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シャネル
ピグマリオン・デイズ・コンサート   
シャネルビル4階「ネクサスホール

日本人の若手音楽家を支援するプログラムの一環として
シャネルが企画する室内楽コンサートに行ってきました。
ヴィオラの大山平一郎さんがプロデュースしているもので、
メンバーは選り抜きの若手プロ奏者ばかりです。渋い室内楽でも
満席になっていたのは、そこがシャネルだから、
ということだけではなく、気軽に音楽を楽しめる風土が
できつつあるのを実感します。また、演奏からは日本のこれからの
音楽のレベルがどうなっていくのか、その一端を垣間見ることが
出来ました。そう、何も心配することなんかなさそうです、
この国には音楽をする土壌が確かに根付いてきています。
大山さんのような外国でキャリアを積んだ人たちも多くのものを
持ち帰って、それを伝えてくれる、心強いものがあります。

この夜のプログラムは、ブラームス ピアノ四重奏曲 第2番
イ長調 Op26と弦楽六重奏でシェーンベルク 浄夜 Op.4でした。
ブラームスのピアノ四重奏曲の中では斬新な試みが盛り込まれ
哀愁に満ちたロマン派好みの第1番が有名です。それとは対照的に、
第2番は地味で演奏時間もゆうに45分はかかる長いものゆえ、
演奏される機会の少ないようです。ただ、じっくりと聴いてみると
多彩な素材を駆使した巧みな構成や弦楽器とピアノの絶妙な
バランスなど、熟練の域の優れた作品だと改めて思いました。
緊張感を最後まで維持して聴かせる昨日の演奏は、
渋いブラームスの世界を充分に堪能させてくれました。

シェーンベルクの浄夜は、後期ロマン派から12音技法や無調の
音楽に移る直前に作曲した曲で、リヒャルト・デ―メルの
同名の詩を音に映したといわれるものです。半音階を多用し
浮遊感を伴う調性が不思議な雰囲気を醸し出しています。
この難しい音程やリズムの曲を各奏者が確信を持って弾ききって
いるところは、さすがだと思いました。

会場は100名ほどの小さなサロンで、舞台も20センチくらいの
雛段です。そのため演奏者との距離が近く、譜面台の楽譜が見え、
息遣いまで聴こえてくるような臨場感があり、室内楽の醍醐味を
存分に楽しむことが出来ました。

モーツァルトの顔
ヨーゼフ・ランゲ(1751-1831)作
「クラヴィーアに向かうモーツァルト」(未完)
油彩画  1789年ウィーン  原画  日本初公開

上の絵は、モーツァルトの肖像画としてどこかで見かけたことが
ある方が多いと思います。これはモーツァルトの妻コンスタンツェの
姉アロイジアの夫、ヨーゼフ・ランゲの筆による未完の油絵です。
コンスタンツェが数ある肖像画の中で最も似ていると語ったとされる
ものですが、実物は思ったより小さめです。ただやはり細部の描写、
絵の具ののり方とか伝わるものがありました。この原画が最大の目玉
でしたが、私にとっての目玉はモーツァルトの自筆譜です。
「キラキラ星変奏曲k265」の冒頭部分や「トルコ行進曲k331」の
コーダの部分が展示されていました。もちろん手書きのものですが、
とても細かく丁寧な音符が並んでいました。そして驚いたことに、
書き直しが全く無いことに気が付きました。モーツァルトにとって
音楽は頭の中で完璧に出来上がっていて、それを楽譜という形で
書き表している、既に完成されたものゆえに推敲の余地が無いのでしょう。
天才たる所以を改めて実感させられました。皆、よく知っている曲だけに、
楽譜の前でじーっとしばらく動かずに見入っている人達が大勢いました。
他に未完の「ヴァイオリン、ヴィオラとチェロの為の協奏交響曲K320e 」
もありましたが、これが完成していたらと惜しまれているものです。
また必ず目にする有名なモーツァルト一家のエッチングや遺髪、
(少し細い、赤毛だったけれど埋葬された場所さえ分からないのに
本当にモーツァルトかしら?)、愛用の小物、レオポルト・モーツァルトの
「ヴァイオリン教程」の初版本も。会場では「モーツァルトの素顔」という
短編映像の上映やロビーコンサートも行われていました。
「百聞は一見にしかず」の通り、実際にゆかりの品々を見ることは、
それが本物ゆえに、その人を、その時代を彷彿とさせる力を持っている
ものだと改めて思いました。皆さんも是非どうぞ。
国際モーツァルテウム財団コレクション 『モーツァルトの顔』
第一生命本社1Fギャラリー 11/19(土)~25(金) 入場無料

ポリーニ
【TESTAMENT JSBT 8473 】
マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)
ポリーニのショパン、練習曲集がもう一種類、
しかもコンクール優勝の年に正規に録音されたものがあったって!?
もうほとんどあらゆるピアノファンをノックアウトした、
そして私もノックアウトされた有名な録音の10年以上前のもの。
まずジャケット写真から。なんて若いんでしょう!
繊細さと裏にある自信。ふてぶてしさに満ち満ちて・・
でもこんなものが出てくるなんて、ポリーニも
もはや殿堂入りといった感じでしょうか。有名な録音と
比較してみたくなりますが、残念ながら手許にないので、
ストレートに感想を。音楽そのものはポリーニ流の楷書体の
ショパンです。ルバートも控えめで、ペダルの使用も的確なのか
音に濁りがありません。しかしこの演奏からは「若さ」という
形容詞も、「老成」という単語も浮かびません。
「熱さ」「情熱」と言った単語も。ひとつひとつがきらきらと
完璧に弾かれていて、機械的とは言わないまでも人間的な
感じがしません。すでにこの時に後のポリーニの姿が
出来上がっているのがわかります。こう書いていると
けなしてばかりいるように受け取られるかもしれませんが、
実際はその逆。凄みがあるけど、パワーで押し切っている
わけでもなし、万人が納得する「練習曲」の最右翼であることに
違いありません。ただ私は草書体のほうが好きだし、
人間的なぬくもりのほうが好きだとというだけかな。

ライネッケ
【Mdg 603 1661-2 】
マニュエル・フィッシャー=ディースカウ(チェロ)
コニ―・シー(ピアノ)

カール・ライネッケ[1824-1910]のチェロソナタが3つ入ったCDです。
このCDについては、ライネッケがロマン派で唯一といっても
よさそうなフルートソナタで有名であること、あの偉大な歌手の
遺伝子が息子のマニュエルにどう受け継がれているのか、
そしてイッサーリス氏と来日して強い印象を遺したコニ―・シーが
ピアノを弾いていること、と多方面からの興味がわきました。
まず、最初。フルートソナタそのものがあまり面白い曲だとは
思っていなかった不安は的中。ライネッケはブラームスの助手
のようなことをやっていたそうですが、助手はやはり助手、
曲はどこか踏み込みが足りなくて、言い出しかねて・という表現が
一番ぴったりかもしれません。さあ、この気の毒な曲を弾いている
マニュエル。これもとても平凡平板なチェロ弾きのようにきこえます。
遺伝子はそのまま受け継がれなかったのでしょうか、親が偉大すぎる
といえばそれまでですが。何を言いたいのかわからない曲に
輪をかけてしまっています。最後の頼みの綱、コニ―(カナダ系
中国人)のピアノはさすがに一流です。多分初来日だった
イッサーリス氏とのデュオはまったく見事なもので、世界は
広いなあと感じたものでしたが、ここでも美しいフレージングで
素晴らしいサポートをしています。このピアニストは単独でも
是非聴いてみたい一人です。


ペライア
マレイ・ペライア ピアノリサイタル
2011年11月5日 サントリーホール

「誰もが待ち望んだ音色」という見出しがチラシに出ていましたが
過去に公演中止もあり、今回も直前まで半信半疑の気持ちでした。
モーニング姿で正装し穏やかな表情で現れた様子を見て、
ようやく稀有の機会を得たことを実感しました。
(お日様のような暖かな雰囲気から「ムーミンパパ」を
連想するのは私だけかもしれませんが・・)
前半に3大Bの、しかもあまり演奏される機会の少ない曲、
そして後半にシューマン、ショパンと続く選曲は
本当に正統な道を着実に深めてきた自信の表れのように思いました。
最初の一音から暖かい豊かな音楽が溢れ出し会場を包みました。
軽やかで美しく流れ、時には息をのむような技巧で奏でる
スケールの大きな音楽は、それぞれの作品の素晴らしさを
改めて印象付けるものでした。
アンコールもショパンのエチュードから2曲の後に
シューベルトの即興曲Op.90-2で締めくくられましたが、
即興曲はおそらくこれ以上の演奏にめぐり合うことはあるまい
とまで思わせてくれました。圧倒的な拍手はきっと
それぞれが受けるべくして受けた感銘を率直に物語ったもの
だったのでしょう。「本物」に触れることの出来た余韻が
幸福感として今でも残っています。

バッハ:フランス組曲 第5番 ト長調 BWV.816
ベートーヴェン :ピアノ・ソナタ第27番 ホ短調 Op.90
ブラームス:4つの小品 Op.119
シューマン:子供の情景 Op.15
ショパン:24の前奏曲より 第8番 嬰ヘ短調 Op.28
ショパン:マズルカ 第21番 嬰ハ短調 Op.30-4
ショパン:スケルツォ第3番 嬰ハ短調 Op.39


ルプー&ペライア
【SONY SK 44915】
マレイ・ペライア(ピアノ)ラドゥ・ルプー(ピアノ)
イギリス室内管弦楽団

モーツァルトの二台のピアノのための協奏曲KV365は、
ライヴ・イマジンでもとりあげたヴァイオリンとヴィオラのための
協奏交響曲KV364と対をなすものとされています。
二曲とも有名なマンハイム-パリ旅行の後に書かれたものですが、
二台ピアノの協奏曲のほうはオケパートにクラリネット、
トランペット、ティンパニが加えられた非常に輝かしいものです。
幸福感に溢れた楽想は協奏交響曲の二楽章のようなまるで
レクイェムを思わせる楽想の対極にあります。
いまこの忘れかけていたものをようやく素直に味わうことのできる
平安を取り戻しつつあるのを感じます。ペライアとルプー、
誰が考えついたか知りませんが、この二人がコンビを組むのは
あまりにも自然なことのように聴こえます。モーツァルト演奏に
ついては、カサドゥシュであったりへブラーであったりしたあと、
バレンボイム、アシュケナージあたりに次ぐ世代として台頭した
ピアニストの筆頭でした。そしてたしかにこの二人のモーツァルトは
曲の幸福感をそのまま味わうことのできるものです。余白に
収められたブゾーニが編曲したオルガン曲の幻想曲もそれこそ幻想的で
とても美しいし、4手のアンダンテ・ヴァリエーションもこうじゃなくちゃ!

ショパン炎のバラード
「ショパン 炎のバラード」
ロベルト・コトロネーオ  河島英昭訳   集英社刊

この本のキーワードはもちろんショパンであり、「私」として、
物語の語り部としてのピアニストは、アルトゥーロ・ベネデッティ・
ミケランジェリ(ABM)です。この二人を軸にして、
バラード第四番にはコーダに異稿が存在し、その数奇な運命を
フィクション、ノンフィクションを巧みに織り交ぜ、
ミステリータッチに展開します。また同時代のピアニストとして
クラウディオ・アラウ、ルービンシュタイン、コルトー等の
演奏の描写も的確であり、ABMのレコード制作とのかかわりなど
著者の音楽文化への理解の確かさを感じます。
さて、コーダは「プレスト・コン・フオーコ」として、
それはショパンの死の床でジョルジュ・サンドの娘ソランジュへ
献呈され、その後ドイツへそしてモスクワへ、さらにパリへ、
「私」のもとへ届けられます。同じ名を持つソランジュという娘、
楽譜コレクターたちとの交錯を「死」をまじかにした「私」は
スイスの別荘で生涯の回想をしています。しかしエンディングで、
決して公にすることのなかったバラード第四場を知るのは
私を含む3人だけ、ムフフ・・というのは、同じような素材を使った
「葬送」(平野敬一郎著、新潮文)に比べて
少々安易な感じもしました。



yatchan2003

Author:yatchan2003
2003年から活動開始。
音楽への想いを伝えたい!
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をモットーに進化中。