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スティーヴン・イッサーリス来日公演
ベートーヴェン全曲演奏会    2012年11月21日 王子ホール
チェロ・スティーヴン・イッサーリス  フォルテピアノ・ロバート・レヴィン

ベートーヴェンのソナタと変奏曲の全曲を2回に分けて演奏会。
昨日はその第一夜。
「ノックアウトされた・・」と言っても過言でない素晴らしい演奏でした。
木目の美しいフォルテピアノが中央に置かれたステージに
ロバート・レヴィンと共に現れたイッサーリスは、最初の変奏曲の第一音から
一気にベートーヴェンの世界に引き込みました。自然な歌い回し、深い表現・・
彼の演奏にはますます磨きがかかっているようです。
今迄ベートーヴェンを避けてきたかのように演奏機会が少なかったのですが、
その間に充分熟成したのでしょうか、「満を期した」という印象を受けるくらい
隅々まで神経の行き渡った自信に満ち溢れた演奏でした。
加えてレヴィンの切れのいい演奏は、隙のない素晴らしいテクニックと
幅広いダイナミクスで迫力があり、時にはチェロを圧倒するかのごとく
「がっつり四つに組んだ」という印象がぴったりでした。
ベートーヴェンって、こんなにも刺激的だったなんて!
フォルテピアノがこんなに大きな表現力を持った楽器だったなんて!
と認識を新たにする思いです。
毎回違う共演者を伴って来日するイッサーリスですが、
今回は一段と素晴らしい演奏で巨匠の域に達する勢いで邁進中です。


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イサ
【Hyperion DCA67948】
見出された場所~チェロとピアノのための音楽
~リスト、クルターグ、ヤナーチェク、アデス、フォーレ
スティーヴン・イッサーリス(チェロ)
トーマス・アデス(ピアノ)

モネの絵画を使用したCDジャケットにある通り、
実に渋いイッサーリス氏らしいアルバムです。
弾いているものはリストを除きすべて20世紀につくられたもの。
そして作曲家アデスの作品をピアニスト・アデスと共に演奏しています。
アデスのピアノの腕前はラトルが絶賛を惜しまなかった程の逸材。
そしてガット弦を張ったストラディバリウスの音色と
自然なアーティキュレーションはいつものように、実に美しいものです。
この自然さはイッサーリスの独壇場。やっているんです、かなり作為的に
作っているのに、出てくるもの、語り掛けてくるものは自然さそのもの。
音楽をやるものの一つの理想の形がここにあります。
CDのインデックス10は、「マラ・ポーリンの思い出に」という
クルタークがスティーヴン(イッサーリス)のために書いた曲。
イッサーリス氏は最愛の妻、ポーリンを2010年に癌で亡くしたときに
初めて日本へのコンサート・ツァーをキャンセルしてしまいました。
過去にそのようなことは「たぶん」一度もなかったプロ魂のかたまり
のようなスティーヴン、心を込めたサラバンドのような無調のラメントに
心が震えました。アデスの「見出された場所」は混とんとした
現代音楽そのもの。こればかりはいいところを聴いてやろうと、
ちょっと斜に構えてしまいました。
スティーヴン・イッサーリス、いよいよ来日です!

ブーランジェ
ナディア・ブーランジェとの対話
ブルーノ・モンサンジャン著 佐藤祐子訳
音楽之友社刊

私の中でブーランジェの名前はリパッティとの師弟関係として
つながっていました。そのリパッティのことがしっかりと載っています。
「リパッティはまるでこの世に遣わされた天使でした。」ああ、やっぱり・・
この始まりだけで私には十分でした。ブーランジェについてはあまり
予備知識なく読み進めましたが、やはり只者ではありません。
中でも父のエルネスト、妹のリリー、そしてナディア、三人とも(!)
あのラヴェルでさえ落選したローマ賞を受賞した作曲家だということ、
父エルネストが12歳の時までベートーヴェンが存命中であったことで
ベートーヴェンが、神様から人間として身近に感じられました。
ナディアは音楽の申し子であり音楽に自分のすべてをささげた生き方を
しましたが、自分の意見を持ち絶対に妥協しないその姿勢には清々しさ
さえも感じることが出来ます。凡人は回顧した時に手柄話ばかりですが、
そのようなことも一切ありません。
そして最後のこのセンテンスに心を打たれました。
「私はド、ミ、ソ、レ、などのあらゆる音符も、どの十六分音符も
知っています。あらゆることを分析できます。なのにシューベルトの
音楽の一ページ、一段、一小節が私にとっては謎なのです」



gi-zekinngu
【EMI TOGE-12068】
「モーツァルト歌曲リサイタル」
エリザベート・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
ワルター・ギーゼキング(ピアノ)

ほとんど伴奏の役割を超えることのないモーツァルトの歌曲に
ギーゼキングが座っています。モーツァルトのスペシャリストとして
今なおその演奏は輝きを失っていませんが、単純な音型に生命を吹き込み、
たちあがらせ、呼吸させて見事に歌をサポートしています。
一方の主役はフィッシャー・ディースカウとともにドイツリートの宝
ともいうべきシュヴァルツコップです。役者がそろって名演が保証されて
いるようなものですが、この二人の音楽のベースにあるものが
共通するのでしょう、素晴らしい音楽的な瞬間が実っていました。
シューベルトの歌曲にあるような心の深淵を覗き込むようなものとは違って、
長調で濡れるような哀しみさえあらわすモーツァルト。
有名な「春へのあこがれ」K596は子供の目から見た春への眼差し
だけではなく裏に何かの哀しみが込められています。
一方「子供の遊び」K598の無邪気な様子は、まるでケルビーノの
アリアのよう。無垢なモーツァルトの心をそのままに二人が届けてくれました。
これ以上足すことも引くこともできない奇跡を感じました。

弦セレ
【DG】
・チャイコフスキー:弦楽セレナード ハ長調op.48
・ドヴォルザーク:弦楽セレナード ホ長調op.22
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)

弦セレといえばチャイコフスキー、小澤さんとサイトウ・キネンの十八番
でもある曲ですし、またクラシック音楽ファンでなくてもその旋律は
きっとどこかで耳にしたこともあるはず・オー・ジンジ・オー・ジンジ・・・
そんな有名曲をカラヤンがたっぷりとした低弦に乗って、余裕綽々、
乗り心地抜群のドライブを楽しませてくれます。聴くことそのものに
贅沢を感じるとき、本当に心までもが豊かな気持ちになってしまいます。
カラヤンの演奏はレガートが主体と言われていますが、じゃあ具体的には
どうでしょう?まず第一に感じるのは表現がとても自然だということ。
そしてフレーズを長く捕まえるので、たとえ間に休符があろうと
アクセントがあろうと一気にもっていってしまうため、全体的に
レガートに感じさせてしまうことに尽きます。そしてオーケストラの
ダイナミックレンジがこれでもかというほど広いため彫の深い表現が
可能となります。それだけ、なのかもしれませんが「個」を大切にし、
楽しんだ一昔前のスタイルを「楽譜」を大切にし、そのなかにあるものを
届けようとするスタイルとした表現方法はどのような批判があろうと
これが20世紀後半を共に生きたわたしたちの時代の音楽でした。
そしてその最高の見本がここにあります。


yatchan2003

Author:yatchan2003
2003年から活動開始。
音楽への想いを伝えたい!
お客さまと共に楽しみたい♪
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